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REALIZE Stories 社会の進化を、世界の可能性を、未来の希望を、描いた者たちの物語。

2024.07.29

自ら行動し、偶然の出会いを集めていく。

きりもと たくや

桐本 拓哉

俳優?声優?コーチ

名城大学商学部卒?青二プロダクション所属

1967年生

自分を見つめ、目指すべき道を歩み出したストーリー

色褪せない原体験が、道になった

  • 在学時、シネマ研究会で撮影した自主映画のポートレート
    在学時、シネマ研究会で撮影した自主映画のポートレート

 映画の世界に魅せられた子ども時代。記憶に焼き付いているのは、俳優たちの姿だ。ニューヨークのゲットーで育った2人のギャングの生涯を描いた『ワンス?アポン?ア?タイム?イン?アメリカ』で主演の1人をつとめたロバート?デニーロ。マフィア映画の名作『ゴッドファーザー』で、父親の後を継ぎ裏社会を支配するドンへと成長していく息子の姿を見事に演じたアル?パチーノ。メソッド演技法※という演技を取り入れた俳優たちにとりわけ憧れを抱いていた。
 その憧憬は、中学生、高校生へと成長しても色褪せることはなかった。高校時代は映画の背景を実写のように描くマットペイントに興味を持ち、美大への進学を考えたほどだ。

 その道は選ばなかったが、高校卒業後、桐本は名城大学に入学。シネマ研究会に入った。演出や演者として多くの自主映画に参加することで、演じる側に強い関心を持ち、演技への手応えも感じるようになった。
 さらにこの頃、桐本の俳優への興味を強めた淡い青春のエピソードがある。当時、桐本は大学の図書館で司書をしていた女性に好意を寄せており、図書館に通い詰めていた。しかし、ただ女性を見つめている訳にはいかない。そこで演技の勉強になればと、映画関連の本を読むように。そのなかに、「メソッド演技法」を提唱したスタニスラフスキー著作の『俳優修業』という本があった。専門用語や独特の言い回しで読みやすい本ではなかったが、桐本はその内容に魅了され、心を動かされた。より俳優への想いは揺るがないものになった。

※メソッド演技法とは、役者が登場人物の内面に注目し、その感情を想像して役になりきり、本当に気持ちを動かす手法のこと。ロシア?ソ連の演劇人で、俳優兼演出家であったコンスタンチン?スタニスラフスキーが考案。

自分を貫き通し、俳優?声優として成功を掴み取るまでのストーリー

いつかの経験が、つながる瞬間がある

  • シネマ研究会、劇団、旅行などの 様々な体験が今の桐本につながっている
    シネマ研究会、劇団、旅行などの 様々な体験が今の桐本につながっている
  • セリフ台本を読み込み、音声収録に臨む
    セリフ台本を読み込み、音声収録に臨む

 俳優の道に生きる――。そう心に決めた桐本は、3回生の終わりに名古屋の劇団に入団。周りの学生が就職活動に奔走するなか、演劇が生活の一部となっていく。
 友人には「俳優になれるのはほんの一握り。現実をわかっていない」と言われ、ときには喧嘩にもなった。ただ友人の指摘は理解できるものでもあった。同志の集まりであるシネマ研究会にも俳優を目指すメンバーは少なかった。俳優という職業は言わずもがなの狭き門だという事も自覚していた。

 名城大学を卒業した桐本は、様々な訓練所を渡り歩き、そこで出会った友人に誘われて吉本興業に所属。その後、舞台俳優として実績を積むために青年座に入団し、アルバイトをしながら俳優を志す。実績のない人間に、すぐに仕事がもらえるような業界ではない。苦しんだ時期も長かった。自分のやりたいことと求められることの歯車が嚙み合わず、悔しさやジレンマを抱えながら、下積みの時代を過ごした。
 しかし、俳優を諦めようと思ったことはない。ひたすらオーディションを受け続けた。桐本は、「俳優で食べていけるようになるまでに10年かかった」と当時を思い返すが、語る表情は明るい。それは「挑戦し続けていれば必ず何かが掴める」といった確信に近いものがあったからだ。
 声優の仕事がまさにそれだった。シネマ研究会での映画製作では、演技を撮影した後、音声をアフレコで入れる。その経験を積んでいた桐本は、声優としての演技力に注目されるようになる。キャスティングの人々の目に留まり、声優の仕事が増えていった。細田守監督の代表作『サマーウォーズ』でカルト的な人気を誇る陣内理一役や、アカデミー賞の複数部門にノミネートされた『アメリカンスナイパー』や『アリー/スター誕生』などで主演を務めたブラッドリー?クーパー役の声優として知られる桐本だが、シネマ研究会での経験がつながっているのだ。

脈々と受け継がれるチャレンジ精神

多くの偶然の中に、人生を変える出会いがある

 「計画的偶発性理論」という考え方がある。「個人のキャリアの8割は、偶然の積み重ねによって決定される」というスタンフォード大学の心理学者であるジョン?D?クランボルツ教授が提唱した理論だ。桐本はまさにその理論を体現し、証明してきた人物と言ってもいい。巡ってきた物事との出会いをすべてチャンスと捉えている。
 憧れの俳優たちとの出会いもそう。図書館で偶然出会った『俳優修業』もそう。シネマ研究会での経験も、諦めずに積み重ねたオーディションの一つ一つもそうだ。映画の中に、本の中に、出会った人々と様々な経験の中に、自分の人生を変えるチャンスがある。

 韓流ドラマ『トンイ』の吹き替え共演をきっかけに俳優仲間4人で立ち上げた「劇団トローチ」や、喜劇を学ぶために直感で選んだ吉本興業も例外ではない。直接仕事と結びつかないこともあるが、「それでも何かの糧にはなる」と考える。大切なのは、自分から出会いにいくこと。行動した先に、偶然の出会いが生まれていく。何事も前向きに捉え、「やってみる」の精神で進み、多くの経験をしてきたからこそ、今の桐本がある。

 名城大学では世界に誇る最先端の研究が行われているが、研究には偶然得られる結果も少なくない。それはセレンディピティ(幸運な偶然)と呼ばれる。しかしその幸運は、何百、何千と繰り返し積み重ねた先に出会えるものだ。桐本をはじめ、先輩たちもそうやって一歩一歩進み、一つ一つ積み上げて、夢を実現させてきた。

桐本拓哉さんからメッセージ

 ジョン?D?クランボルツ教授の「計画的偶発性理論」は、わたしの人生の指針となり、今も”偶然”に出会うためにいろいろと動いています。みなさんも是非、偶然を呼び込むために積極的にチャレンジしてもらいたいのですが、もう一つ伝えたいことがあります。それは、多様な視点を持つことです。わたしは学生時代にバックパッカーとしてヨーロッパ各地を巡った経験があります。福祉を充実させる国、移民問題を抱える国、紛争で疲弊する国など、さまざまな国で出会う人々や文化に触れ、物事を捉える視点を増やしました。毎回違う役柄を演じる俳優にとっては多角的な視点は重要です。ただ、それは普段の生活でも同じです。あらゆる人の意見や考えを知ることで多様な価値観が育まれます。それが人生をより豊かにしていくものだと考えています。

“出会いを増やし、視点を増やすことで人生を豊かにしていく”

桐本拓哉さんからのメッセージ動画をご覧いただけます。

桐本 拓哉
俳優?声優?コーチ 名城大学商学部卒?青二プロダクション所属

幼少期より父の影響で映画を鑑賞する機会に恵まれ、いつしか自分もその世界に身を置きたいと思うようになっていた。名城大学入学後にシネマ研究会に入部し自主映画等の創作に参加。自らが役者となって演じることに魅了され、在学中に名古屋の劇団に所属し俳優活動を始める。卒業後もそのまま活動を続け、27歳で上京。様々な場を渡り歩いて修練を積んだ後に劇団青年座へ入団。舞台活動と共にここで声優の仕事と出会い、以後活動の主軸になっていく。青年座退団後は声優事務所の青二プロダクションに入所し声優活動に専念する。10年前に声優仲間達と立ち上げた劇団トローチで舞台活動をしている。国際コーチング連盟の認定を受け、コーチとしても人材育成や企業研修のワークショップをデザインし活動している。