名城大学商学部卒
硬式野球部監督
1960年生まれ
安江 均
2025.04.02
安江 均
名城大学商学部卒
硬式野球部監督
1960年生まれ
名城大学硬式野球部は大学が開学した1949年に創部され、同年秋からスタートした愛知大学野球リーグ戦から参戦した。2024年度で75年を迎えたリーグ戦(春、秋)での優勝回数は15回。愛知学院大の47回、中京大の43回には及ばないが、安江均監督(1983年商学部卒)が就任した2016年度からはリーグ優勝6回、神宮球場での全国大会にも6回出場している。4月5日の2025年度シーズン開幕を前に安江監督に語っていただいた。
安江さんは岐阜県中津川市出身。母校である県立中津高校には軟式野球部しかなかったが、2年生だった1977(昭和52)年、全国高等学校軟式野球選手権大会に出場した。大会は大阪の藤井寺球場で8月に開催され、2回戦で島根県の隠岐高校と対戦。母校からは大型バス4台での応援団が駆け付けたが4-5でサヨナラ負けした。ところが9月、高野連から連絡が入った。青森国体に出場予定の1校が出場辞退となり、代わりに中津高校が推薦されたのだ。国体は10月。3年生の何人かが進学や就職準備のため出場を辞退し、ベンチ入りの安江さんら14人が中津川から2日かけて青森に向かった。
1回戦、2回戦、準決勝と勝ち進み、決勝戦では8月の全国大会で敗れた隠岐高校と対戦。夏の悔しさを晴らすかのように7-3で勝ち、全国大会初優勝を飾った。凱旋した中津川駅前では歓喜の市民、在校生が出迎え、市内バスパレードが行われた。
中津高校の学校案内(2022年)の「活躍する卒業生」欄に、安江さんが当時の思い出を寄稿している。(抜粋)
<全国大会で敗戦投手となり、雨の中を一生懸命応援してくれた皆に申し訳なく、悔しくて涙が止まらなかったことを覚えています。その後、その試合の応援姿勢やマナーが評価されたことで、繰り上げ出場となった国体で、悲願の全国制覇を飾ることになりました。全校あげて掴み取った栄冠だと、今でもとても誇りに思っています。中津高校では、特に感謝の気持ちと、人との繋がりを大切にすることを学びました。>
野球少年だった安江さんは中学3年生の時、やぐらから落ちて手首を骨折した。小さい時から自営業の父親が庭に造ってくれたマウンドで毎日投げ込み、あこがれていた甲子園への夢をあきらめた。中津高校には硬式野球部はなかったが軟式野球部で野球を続けた。庭のマウンドで鍛えていたこともあり、「ストライクが投げられるピッチャーだった。どんな場面でもフォアボールはほとんど出さない自信があった」。
3年生の軟式野球部での最後となる試合に負けた瞬間、安江さんの硬式野球へのあこがれのスイッチが入った。「このままでいいのか」。硬式への挑戦を決め、夏休みは2年生の時までの恩師がいた中津商業高校硬式野球部の練習に参加させてもらった。
安江さんは1979年4月、一般入試で名城大学商学部に入学。入部した硬式野球部員は80人近かった。「軟式出身というコンプレックスを抱えての挑戦だったが、それを補うだけの努力をしなければということは常に意識してきた」と語る。
名城大学のリーグ優勝は1953(昭和28)年春の初優勝と1975(同50)年秋の2回だけで、大坪悟監督のもとで3回目の優勝を目指していた。投手を目指した安江さんだったが、先輩の「バッティングセンスがあるから」というアドバイスで、外野手に転向した。
安江さんの4年間の名城大時代のリーグ戦成績は優勝3回、2位、4位、5位と6位(最下位)2回だ。「ベンチに入れるのは25人。校風でもあると思うが、監督の大坪さんは幅広い登用による競争環境重視の方でした。軟式上がりながら面白そうだから使ってやろうと思ったのでしょう、チャンスをもらうことができました」と安江さんは振り返る。
1年生秋には3回目のリーグ優勝を果たし、中部地区代表として第10回明治神宮野球大会に出場した。安江さんは試合には出場しなかったがベンチ入りし、名城は1回戦で東都リーグの国士館大を3-1で退け、準決勝では4番原辰徳(元巨人監督)が率いる首都リーグの東海大に11-8で打ち勝った。決勝では明治大に0対6と完敗したが、名城大が最も登りつめた準優勝に輝いた。
2年生で第11回明治神宮野球大会、3年生で第30回全日本足球竞彩网_英皇娱乐-任你博首页推荐大会に出場するもいずれも1回戦で敗退した。 4年生の時はライトで4番、キャプテンを務めたが、春には最下位となり入れ替え戦を体験した。名城は入れ替え戦を過去に一度も落とすことなく1部リーグに留まり続けてきた。それだけにキャプテンで立ち向かうプレッシャーは大きかった。相手は名古屋学院大。なんとか2連勝して1部に踏みとどまった。
大学を卒業した1983年、社会人野球の強豪である電電東海硬式野球部(旧日本電信電話公社の東海電気通信局硬式野球部)にスカウトされて入社した。1985年に社名がNTT東海となったころからレギュラーの座をつかみ、1986年秋には第13回社会人野球日本選手権大会で初の全国優勝。外野手として出場した安江さんは準決勝で本塁打2本、決勝でも先制打を放ち打者のMVPである打撃賞に輝いた。1988年夏、東京ドームでの第59回都市対抗野球大会ではキャプテンとして出場し過去最高の準優勝を果たした。
安江さんは「社会人野球の世界に入った時点で、軟式上がりというコンプレックスは解消したと思っていたが、打撃賞を獲得した時、もう胸を張っていいかなと思った」と語る。安江さんは社会人野球選手時代に結婚し、木戸姓から安江姓となった。
安江さんは現役で9年間プレーし、コーチを経て監督を3年務めた。監督時代の1996年には愛知大学で投打で活躍した岩瀬仁紀選手を獲得し、投手として育てあげた。岩瀬は1998年ドラフトで中日ドラゴンズに入団、プロ野球最多となる通算1002試合登板、407セーブを達成した。2025年にはイチローとともに、野球殿堂入りを果たしている。安江さんは「バッティングも魅力的だったが、本人も投手希望だった。入団前に練習に来た時のブルペンでも全部140キロオーバーでストライクゾーンに投げ込んでいて、とにかく制球がよく、投手に専念させた」と振り返る。
監督になって2年目の1996年、第67回都市対抗野球大会への出場を果たしたものの3年目での出場を逃したことで安江さんは野球部の現場を離れた。「社会人野球では都市対抗に出るか出ないかはすごく大きい。強豪チームだったため、3年やって1回しか出られなければ監督はクビ覚悟なんです」。ユニホームを脱いだ安江さんはビジネス現場で17年間勤めあげた。社名はNTT西日本に変わっていた。「仕事に専念する以上は先輩たちを追い抜いてやろう」。営業畑が中心だったが、東京、大阪勤務も体験。昇格試験も受け管理職にたどりついた。
2016年2月、55歳を迎えていた安江さんに名城大学硬式野球部の先輩でもある大学職員から、「野球部の監督を引き受けてほしい」という電話があった。母校は2006年度春に11年ぶりに優勝して以来、2部リーグとの往復を繰り返すなど低迷を続けていた。2015年度秋も4位だった。安江さんが4月からNTT関連会社での新たな管理職の仕事に打ち込む準備をしていた矢先だった。「もう誰もいない。チームを救ってほしい」。先輩OBの懇願に、安江さんの心は揺れた。母校の危機を救うのはOBの責務ではないか。最後に背中を押してくれたのは家族だった。「お父さんしか出来ない仕事だ。やった方がいい」。大学側には、NTT時代の野球や仕事での経験をもとに、母校野球部の再建への考えをプレゼンし、監督就任が了承された。
「自分は軟式野球からの挑戦だったが、微力ながら母校野球部の伝統を支えてきた一人。社会人野球での実績には自分なりに熱いものがある。コンプレックスから出発して試練に立ち向かった経験を生かすことこそが人間力野球ではないか」。安江さんは学生たちへの「説明責任」を重視しながら、「学び」「礼節」「情熱」を基本とする名城版人間力野球に取り組んだ。
安江さんは2016年度から大学職員(学務センター)、硬式野球専任監督として始動した。2016年春、2017年秋はリーグ2位ながら地区代表決定戦を制し明治神宮大会に連続出場し、2018年秋には2006年春以来実に25シーズンぶりとなるリーグ優勝を勝ち取った。2022年度からの秋3連覇もあり、就任から9年間ではリーグ優勝6回、全国大会出場6回(秋の明治神宮大会4回、春の全日本選手権2回)という実績を残した。これまでに就任した歴代監督では最多だ。
「2016年4月1日付辞令でいきなり春のリーグ戦が始まった。中京大と優勝を競り合い、2位だったが勝ったら優勝というところまでいった。秋も2位だったが、チームの歯車がかみ合い北陸?東海3連盟代表決定戦に出られて22年ぶり6回目となる明治神宮野球大会に出場できた。神宮出場で、選手たちが自分に一目置き始めたなという手応えを感じた」。
チームの改革も少しずつ進めた。山内壮馬(中日、楽天)、森越祐人(中日、阪神、西武)らプロ野球経験のあるOBもコーチに招いた。「大学なので高校とは違い専門性も必要。プロの世界はやはりすごい。プロの技術面と、時間や規律面などを重視する社会人野球ならではの厳しさともかみ合わせながらのチーム作りに力を入れてきた」。
安江さんは2025年度で監督10年目を迎えた。「監督1年目では、2年生ながら投手の栗林良吏(トヨタ自動車を経て広島)が頑張ってくれたし、選手やコーチ、大学の応援もあり出来すぎ感はあるが、胸を張れる成績を残せたかなと思う」と9年間を振り返る。9年間で6回、神宮の舞台を経験したことについても「世代ごとの学生たちの力量もあるが、全国に行っても臆せず戦える雰囲気になったと思う」と胸を張った。
軟式野球出身という負い目に打ち勝つことから始まったという安江さんの硬式野球への挑戦。学生野球、社会人野球で自分を磨いた選手時代。指導者としてもNTT東海監督時代に岩瀬を、名城大監督として栗林、そして2024年春には岩井俊介(ソフトバンク)、松本凌人(DeNA)の4人をプロ野球のマウンドに送り込んだ。
安江さんは学生時代の3回、監督時代の6回と合わせると神宮での全国大会出場は9回を数える。そうした実績も買われ、2024年、2025年の大学日本代表チーム(侍ジャパン)のコーチにも就任した。侍ジャパン監督は慶應義塾大学の堀井哲也監督。安江さんがNTT東海の監督時代には三菱自動車岡崎の監督で切磋琢磨した仲だ。
愛知大学野球連盟所属校の監督としては、全日本大学野球連盟の監督会が承認した初の大学日本代表スタッフだ。「社会人時代のライバル監督でもあった堀井さんに推薦していただいたが、名城大学にとっても愛知大学野球連盟にとってもすごく大きなことだと思った」と安江さん。侍ジャパンは2024年7月、チェコのプラハ、オランダのハーレムでの大会(ベースボールウイーク)に4勝、7勝と11連勝して2大会で優勝。2025年も7月には米国代表チームを迎え、北海道、新潟で各2試合、神宮で1試合の計5試合が予定されている。
愛知大学野球の2025年度春のリーグ戦を前にした3月27日、名城大学日進グラウンドでは早稲田大学を迎えての練習試合が行われた。白熱した試合は早稲田が1-0で勝ったが、名城大学の選手たちにとっても貴重な体験だったに違いない。
安江さんは侍ジャパン日米戦の戦略も描きながら春のリーグ戦を迎える。春のリーグ戦の成績次第では侍ジャパンの日米対決の前に、名城大学が6月、神宮球場での全日本足球竞彩网_英皇娱乐-任你博首页推荐大会出場の可能性もある。「それは最高のシナリオパターンですが、侍ジャパンの活動は自チームの健全な推進なくしてありえない。今年も愛知大学リーグはどこも強く、混戦必至。ほんの少しの油断が勝敗を分け、最下位もあり得ます。覚悟を決めて謙虚な姿勢で一試合ずつ戦い抜きたいです」。安江さんは嬉しさと誇らしさが交錯するような笑顔で新シーズンの抱負を語った。