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REALIZE Stories 社会の進化を、世界の可能性を、未来の希望を、描いた者たちの物語。

2025.05.30

母校100周年記念アリーナ建設を担う

あだち なおき

安達 直樹

名城大学 理工学部建築学科
株式会社熊谷組 名古屋支店 統括所長
1968年生まれ

 2026年に開学100周年を迎える名城大学。天白キャンパスでは、入学式、卒業式や大型イベント会場としても利用できる記念アリーナの建設が進められている。7月には巨大屋根も姿を見せる予定だ。2?3号館の解体跡地の建設現場で指揮を執るのは理工学部建築学科卒業生で、熊谷組名古屋支店統括所長の安達直樹さん(1990年卒)。2号館は安達さんが受験した入試会場でもあった。思い出が詰まったキャンパスで、母校の新たな100年の幕開けを告げるシンボルとなる巨大アリーナ建設に取り組む日々が続いている。

多目的総合体育館「LIONS ARENA 2026」

 開学100周年記念アリーナである多目的総合体育館の愛称は「LIONS ARENA 2026」で、2025年度中完成をめざす。起工式が行われたのは2023年9月20日だった。2025年5月、天白キャンパス正門に向かう坂を登った先の建設現場ではクレーンが唸りを上げていた。工事を担当する熊谷組の統括所長である安達さんが「今は骨組みにあたる躯体工事中で工事従事者は約250人。7月にはいよいよ屋根が上がります。屋根ができたらメインアリーナの内装に着手します」と説明してくれた。
 新緑の木々と建設工事現場を囲むフェンスには、記念アリーナの完成予定図とともに、「新たなシンボルとなる多目的総合体育館 人と自然と地域が繋がる、新たなキャンパス拠点」という建設コンセプトが紹介されている。

<天白キャンパスの丘に建つ「名城大学100周年開学記念アリーナ」は、人と自然と地域が繋がり、世界へ羽ばたく「創造型実学」の人材を育成する新たな活動拠点。本学の「顔」として、自然環境に寄り添い、人と自然が呼応する環境にやさしいキャンパスの活動拠点を創造します。>

  • 名城大学開学100周年記念アリーナ
    名城大学開学100周年記念アリーナ

 安達さんの現在の仕事は管轄する工事の関係で、現場事務所でのデスクワークが8割だが、週3日はアリーナ建設現場に足を運んでいる。

 地下1階地上3階建てで、延床面積は1万3,927㎡。バスケットコート4面分のメインアリーナに加え、サブアリーナ、柔剣道、トレーニング室などからなる記念アリーナ。体育の授業やクラブ?サークル活動での使用のほか、これまで愛知県体育館で行われてきた4,000人近い学生が参列する入学式や卒業式会場、大型イベント会場としても活用できる。隣接して建設される地上5階建て、延べ床面積3,850㎡のクラブハウス棟とともに、学生たちの新たな活動拠点になる。

次世代に残し、伝える仕事をしたい

  • 旧4号館屋上で同期生たちと。前列中央が理工学部建築学科立川教授、後列右端が安達さ ん
    旧4号館屋上で同期生たちと。前列中央が理工学部建築学科立川教授、後列右端が安達さ ん
  • 社員の後藤文音さん(2017年本学卒)に指導する安達さん
    社員の後藤文音さん(2017年本学卒)に指導する安達さん

 安達さんは三重県松阪市出身。実家が兼業農家の建設業(木造大工)の仕事をしていて、母親の実家も工務店を経営。大手建設会社勤務の親類もおり、子供のころから建築の話を聞く機会が多かった。漠然と描いていた建築の道へ進もうという未来図は、高校時代、「どうせやるなら地図に残る建物の建設に関われる仕事をしたい」という夢に膨らんだ。「そのためには大学の建築学科で学び、大きな建物の建設の仕事ができるゼネコンに行こう」と、安達さんが名城大学理工学部を受験し、2号館での入試を経て入学したのは1986(昭和61)年4月だった。

 4号館にあった建築学科では立川剛教授(2020年逝去)の指導を受けた。
「立川先生は耐震構造などが専門でしたが、学生それぞれの希望を優先して指導してくださいました。就職活動では諸先輩方から集めた企業情報や立川先生からのアドバイスをもとに、熊谷組が自分の考えを実践させてくれそうな社風だと思い、目標にしました。入社し、北海道支店勤務10年も含め35年。地図に残る仕事に関わることができたと思います。会社では自分の考えや意見を言ってきました。上司からの指導を仰ぎながらでしたが、挑戦してみろという社風は思ったとおりでした」。

 名古屋支店では母校卒業生たちの就職窓口としてリクルーター役も務める。名城大卒27人が勤務しており、うち4人が女子社員。そのうちの1人は天白キャンパスでのアリーナ建設現場に立っている。「名城出身者の親睦会組織はないですが、僕は個人的に親睦会をやっていますし、気になることがあれば連絡を取っています。後輩はかわいいですから」。

学生寮で始まった学生生活

 安達さんの学生生活は、当時あった天白キャンパスに近い学生寮で始まった。名城大学には開学した1949年当時から学生寮があり、1955年には学生課に寮務係が設置され、全国からの入学生受け入れにあたっていた。1971年にはキャンパス周辺に15の学生寮が整備され、収容人員は858人に及んでいた。
 安達さんが入寮したのは、植田地区にあった松蔭寮(収容人員56人)。入寮生は同じ理工学部の建築、土木、交通機械の3学科の学生たちだった。
「今では考えられないほど寮生活はすごかった。先輩後輩の上下関係は絶大。入寮日は今でも覚えていますが4月3日、4日の2日間。7日の入学式までに学歌と名城節を、朝から晩までずっと歌わされました。それが最初でした」と安達さんは懐かしそうに振り返る。
 安達さんもそうだったが、多くの寮生たちは2年間をめどに寮を出て、アパートでの一人暮らしに移っていった。培った絆は濃く、松蔭寮時代の仲間たちとの付き合いは今でも続いており、酒を酌み交わしたりしている。
 名城大学の入学者が全国規模から地元中心に変わっていき、さらに快適なアパートやマンションの増加に伴い入寮者は減少。老朽化もあり廃寮が相次ぎ、21世紀を迎えた2001(平成13)年、キャンパス周辺の全寮が廃止された。

  • 餅つき大会を準備する寮生たち(1978年12月)
    餅つき大会を準備する寮生たち(1978年12月)

 安達さんが入学する8年前、1978年12月3日「読売新聞」(当時は「中部読売新聞」)には、名城大学の3学生寮の寮生たちが合同で年末に植田学区の子供会員53人を招待して近所の空き地で「餅つき大会」を開くことになったという記事が掲載されている。「学生たちは夏にも植田川沿いで草刈りをしてくれており、立派だと思う」という町内会長のコメントもあり、寮生たちの地域活動が根付いていたことが伺われる。
 『名城大学75年史』によると、松蔭寮の開設は1968年で、安達さんの生まれた年と同じだった。「そうだったんですか。そこまでは知りませんでした」。安達さんは、思い出深い松蔭寮との因縁に驚いた様子だった。

「俺の学び舎は俺が壊して建て替える」

 熊谷組が最初に名城大学キャンパスの再開発工事に関わったのは90周年記念事業として2015年3月に竣工した共通講義棟東だった。この時、安達さんは社内で別の案件に関わっており担当はしなかったが、熊谷組は2020年3月竣工の研究実験棟III(地上4階、地下1階)、2022年3月竣工の研究実験棟IV(地上7階、地下1階)の工事も受注した。
 研究実験棟IVの建設は安達さんたちが学んだ理工学部建築学科があった4号館解体を含めたプロジェクトだった。自分が4年間を過ごした学び舎がなくなる工事。安達さんは、「俺の学び舎は、俺が壊して建て替える」という熱いを思いを込めたプロジェクトを計画、受注を実現させた。
 思い出の詰まった4号館解体工事。驚いたことに、定礎石に刻まれた竣工年は安達さんが生まれた年と同じ「昭和43年」(1968年)だった。「自分が生まれた年に建てられた学び舎に感謝の心を込め、生まれ変わらせたかった。学生生活をスタートさせた学生寮もそうだったが、巡り合わせとはいえ驚きでした。施行屋冥利に尽きる幸せだと思いました」。
 安達さんは、4号館の定礎石を万感の思いを込めて、丁寧に取り外した。100周年記念アリーナを建てるために解体した2号館、3号館の定礎石や看板も、もちろん丁重に外し、保管している。

手前左端が2号館、右端が4号館(1986年入学案内から)
手前左端が2号館、右端が4号館(1986年入学案内から)

建物は生きている

  • 「大切なのは使い勝手の良さ」
    「大切なのは使い勝手の良さ」

 記念アリーナ建設は様々な高度な建築技術が採用されており、かなり難易度の高い工事だが、順調に進んでいる。「建設はまずは設計図ありきですが、私たち施行屋が大事にするのはお客様の使い勝手やメンテナンスです。アリーナはデザイン性も重視された建物ですが、屋根の上に人間が上がって、安全に点検するためにはどういう設備を造っておかなければならないかなど、建物を維持していくために必要なものは我々が提案して付け加えさせてもらったりしています。建物って人間と一緒。生きものなんです。維持メンテナンスのし易さが大切だと思います」。

  • 左が社員の中澤吉宏さん(2020年本学卒)?中央が後藤さん
    左が社員の中澤吉宏さん(2020年本学卒)?中央が後藤さん

 名城大学で過ごした学生時代は、入学した1986(昭和61)年から卒業した1990(平成2)年まで。4年間のほぼ3年間はまだパソコンが登場していない昭和のアナログの時代だった。最近の業界ではデジタル化は加速する一方だが、安達さんはあえて若い社員たちにはアナログ的視点で見ることを薦めている。建物を造るのは人。デジタルだけでは見ええないアナログ的な目を養ってほしい。昭和世代である安達さんのこだわりでもある。

 安達さんは母校への思いと、後輩である学生たちへのメッセージを以下のとおり語ってくれた。
「多様な分野で活躍されている名城大学の関係者のみなさんや、名城大学の名前を聞くと誇りに思います。後輩諸君、大学の4年間はとても貴重な時間です。学生生活を謳歌し、たくさんの学友をつくってください。社会に出ると様々な壁にぶつかると思いますが、自分が何をなしたいか、信念を持てるように色々経験して下さい」。