育て達人第030回 鍋島 俊隆

夢を持たなければ始まらない   患者あっての薬学研究

薬学部 鍋島 俊隆 教授(薬理学)

 薬学部の鍋島俊隆教授は昨年、米国病院薬剤師会が、薬剤師教育への国際的貢献を称えて贈るフランケ?メダル賞を日本人として初めて受賞しました。薬物依存、統合失調症や認知症研究の第一人者であり、約50の新薬の研究開発に携わってきた鍋島教授の信条は「夢は必ずかなう」です。

――フランケ?メダル賞は、病院薬剤師への教育に対する評価だと聞きました。

「夢に向かってトライを」と語る鍋島教授

「夢に向かってトライを」と語る鍋島教授

 大学教員としてのスタートは名城大学薬学部助手からですが、1990年に、名古屋大学病院の教授に転出しました。医療薬学研究室と病院薬剤部で学生や薬剤師の教育にあたりました。薬剤師が患者と身近に接し、薬の服用や生活指導ができるよう、91年から薬剤師をベッドサイドに出向かせました。2000年には日本では初めて、薬剤師が外来患者に対応する薬剤師外来を開設しました。98年から米国の医療現場に日本の若手薬剤師を半年間留学させ、さらに米国など海外から臨床薬剤師を招き、日本のベッドサイドで直接指導を受ける留学?研修制度も設けました。日本から45人、海外からは59人が貴重な留学?研修をしました。

――新薬の研究だけでも約50、論文数は800を超すと伺いました。研究生活だけでも超多忙なのに、教育に注がれるエネルギーはどこからで出てきたのでしょう。

 薬理学は患者さんに薬を安全に使ってもらうための学問です。人間に意地悪な面もあれば優しさもあるように、薬にも副作用という意地悪な面があります。意地悪な面を出さないで、やさしさを引き出すのが僕らの役割です。患者さんは副作用の第一発見者でもあるわけですから、患者さんと協力して副作用を出さない状況を作りだすことが大事です。私が脳から便秘まで、新薬の研究ができるのも患者さん方のおかげですし、薬剤師の指導や教育にあたるのは当然のことです。論文数は確かに多いですが、数の問題ではありません。

――薬学の道に進まれたきっかけを教えてください。

 私は岐阜県笠松町にある県立岐阜工業高校の出身です。工業化学科でしたが、製薬会社に就職し、働きながら大学で学ぼうと思っていました。ところが担任だった林八郎先生が、私の実家である飛騨の山奥まで足を運んでくださり、大学に進学させるよう義父を説得して下さいました。林先生が担任でなかったら人生は全く違ったと思います。林先生は名城大学理工学部の夜間部を出て教員になられた方で、「なせば成る。なさねば成らぬ」が口癖でした。今年、喜寿を迎えられ、名古屋のホテルにお招きし、お祝いをさせていただきました。名城大学との縁は林先生との出会いから始まりました。

――名城大学薬学部の助手時代にアメリカに留学されていますが、留学したいと思われた動機を教えてください。

 鎮痛薬の研究をしていましたが、モルヒネには依存性がありますので、薬物依存に興味を持ち、ミシシッピー大学メディカルセンターに2年半留学しました。この間椎間板ヘルニアで半年を棒に振りましたが、モルヒネ、睡眠薬、フェンシクリジン(幻覚剤)についての研究に打ち込み26本の論文を書きました。この時の研究はその後の大きな財産になりました。

――語学には自信があったのですか。

 工業高校だったこともあり英語力ではすごいハンデを背負っていました。留学しようと決めた77年から出発までの1年間、家内にNHKラジオの英会話を録音してもらい特訓しました。留学という夢に向かってどう行動するかを考えた時、絶対必要なのが語学力でしたから。今でも家内が録音した英会話を聞きながら自宅と大学とを往復しています。教え子からはナベシマ語と冷やかされますが、論理力が決め手となる論文の作成に不自由はありません。

――17年ぶりに名城大学に戻られて、大学の雰囲気をどう感じましたか。

 教育が国家試験対策にシフトしすぎているような気がします。昔は薬学部を出たら、薬剤師資格は当然に得られるものだと思っていました。3月終わりの薬学会には4年生も参加していたし、3月末まで実験室に通う4年生もいました。今は、国家試験の合格が最終ゴールになってしまっているような気がします。他大学も同様な傾向なようですが、もっと志を高くもってもらいたいと思います。医療は日進月歩の世界。問題解決?研究能力のある人でないと薬剤師として生き残れません。生き残れても患者の役に立たなければ意味がありません。

――「達人」を目指すにはまず、夢を持たなければならないということでしょうか。

 そうです。夢を持ち、夢をかなえるにはどういう行動をとるかを考えることです。ノーベル賞の受賞者たちも、失敗した実験がきっかけで発見のヒントを得た例がたくさんありますが、夢を持ち、行動しなければ何も始まりません。学生たちには、夢に向かってトライしなさいといつも言っています。フランケ?メダル賞の授賞式での記念講演や日本薬理学会の教育講演でも、若い薬剤師、研究者や学生たちに「君の夢は必ずかなう」と講演しました。

鍋島 俊隆(なべしま?としたか)

愛知県生まれ、岐阜県育ち。岐阜薬科大学卒。大阪大学大学院薬学研究科博士課程単位取得退学。73年、名城大学薬学部助手。講師、助教授を経て90年に名古屋大学病院教授。07年から名城大学大学薬学部教授?比較認知科学研究所所長。専門は神経精神薬理学。NPO法人医薬品適正使用推進機構理事長。65歳。

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