育て達人第032回 飯島 澄男

じっくりと目標を定めよう   失敗恐れず挑戦を

大学院理工学研究科 飯島 澄男 教授(電子顕微鏡学)

 1991年にカーボンナノチューブ(CNT)を発見した飯島澄男教授が名城大学教授に着任して10年。次のノーベル賞に最も近い研究者といわれる飯島先生ですが、CNT発見までには82年から5年間、名城大学での実験、研究室を拠点に取り組んだ国のプロジェクト研究などでの、「セレンディピティ」(幸運な偶然)があったそうです。

――4月25日には、藤原賞の第50回記念講演会が東京で開かれ、飯島先生も中学生から一般までの1100人に「科学する心を育む」のテーマで講演されます。若い人たち向けに講演する機会もよくあるのですか。

「若い時は果敢に挑戦することが大切」と語る飯島教授

「若い時は果敢に挑戦することが大切」と語る飯島教授

 名城大学附属高校をはじめ、高校生たちに話す機会は結構あります。カーボンナノチューブはわりと分かりやすい材料なので、発見から科学の面白さまで、中学生にも刺激になる話をしたいと思います。私の研究分野は電子顕微鏡でものを見るサイエンスですので、映像の世界も紹介します。原子が動く様子もリアルタイムで見ることができますので、バックグラウンドのない若い人たちにもアピールできると思います。

――少年時代は「自然児」だったそうですが、自然から学んだ体験は、科学する心を育むという面では影響があるのでしょうか。

 あると思います。サイエンスは自分で見て、体験することが大切です。本を読んで、観念的に頭に入れるだけでは身につきません。特に実験科学の分野では、自分で手に取って見つけ出すことが大切です。私の育った埼玉県越谷市は、今はベッドタウンで、昔の面影はありませんが、子供のころは川や田んぼがあって、魚や虫を捕ったり、いろんな体験をしました。自然に対する興味、畏敬、素晴らしさを学びました。物がない時代でしたから、模型飛行機など、自分でものを作る体験もたくさんしました。実験科学の分野に進んだ私にとっては大いに役立っていると思います。名古屋など、都会ではなかなかそういう体験ができにくくはなっていますが、都心から離れればまだまだ自然と触れ合うチャンスはたくさんあります。サイエンスとは、未知の世界に飛び込んで何かを発見することです。小さい時から、そういう訓練をしておくことは大切です。

――高校時代は山岳部、大学時代は音楽部で、フルート演奏はプロ級だと聞きました。

 都立上野高校時代は山岳部でした。苦労して山に登っても稜線の向こう側にはまた山があります。登り切ったその次に何があるか、期待もあれば好奇心もあります。私は「挑戦」という言葉が好きです。岩壁を登りつめるとか、重いリュックを背負って雪山を登るとか、自分の限界を試すことへの挑戦です。フルートも途中から始めて、どこまで極められるかの挑戦でした。演奏は仲間と遊ぶ程度です。たった一度の人生なわけですから、名城大学の学生の皆さんも、失敗を恐れずいろんなことに挑戦してほしいと思います。

――飯島先生は以前、講演の中で、発見にはまず好奇心、そして観測技術、観察力、知識、そして機会に恵まれることの5つの条件が必要だと指摘され、万全の準備があっても、発見は時代や運にも左右されると述べておられました。

 電子顕微鏡という観測手段を使っての研究ですので、観測技術は十分マスターする必要があります。人によってはマスターするのがいやになってしまう人もいますが、テクニックをマスターして、いよいよ面白いものを見つけに飛び出します。しかし、それで見つかるとは限りません。「セレンディピティ」という言葉をご存じだと思いますが、科学の歴史の中で、ノーベル賞に値するような偉大な発見は、この「幸運な偶然」に左右されることが多いのです。そこがサイエンスの面白さでもあります。私は大学院を出た後、アメリカ、イギリスで高性能の顕微鏡を使った研究をしていました。帰国後、2本の黒鉛棒に電気を通して放電させ、炭素の結晶を作る実験をしていて、電極の上の結晶の中からカーボンナノチューブを見つけ1991年に発表しました。その実験というのが82年から5年間、名城大学理工学部で、国の創造科学推進事業のプロジェクトリーダーとしてかかわった研究です。その後も、研究を継続されていた安藤義則先生の研究室で、実験に使用した電極からヒントが得られたことなど、様々なセレンディプティに恵まれました。

――昨年は4人の日本人科学者がノーベル賞を受賞しました。科学を志す若い人たちには大きな励みになったのではないでしょうか。

 すばらしいことです。物理学賞を受賞した南部陽一郎先生や小林誠、益川敏英先生の理論は、私などとてもたどり着けない難解な理論物理の分野です。ただ、科学には一方で私たちのように、実験を中心とした科学もあります。化学賞の野依良治、田中耕一、白川英樹先生もそうです。取り組み方によっては、自分にとって面白い科学の分野はたくさんあります。ぜひ果敢に挑戦してほしいと思います。

――名城大の教員になられて10年。学生たちへのアドバイスをお願いします。

 私は高校時代、文系は向いていないだろうとは考えていましたが、理系の大学に入っても、なかなか自分の目指す方向は見つかりませんでした。迷った末、対象を電気から物理に変えました。電子顕微鏡による実験科学の世界に踏み込んだのは大学院時代からです。学生時代は、柔軟に、じっくりと自分の本当に得意な分野を見つける努力をすべきだと思います。目標が見つかればあとは一目散にそれに突き進めばいいのです。

飯島 澄男(いいじま?すみお)

埼玉県出身。電気通信大学卒、東北大学大学院理学研究科博士課程修了。1991年にカーボンナノチューブを発見。99年から名城大学理工学部教授。NEC特別主席研究員、産業技術総合研究所ナノチューブ応用研究センター長。ベンジャミン?フランクリン賞、日本学士院賞、藤原賞、アストゥリアス皇太子(スペイン)賞などを受賞。69歳。

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