育て達人第107回 堀川 浩良

実行力ある校友会へ新たなスタート   「3代名城」と胸張れる母校にしたい

名城大学校友会会長 堀川浩良さん(1964年理工学部機械工学科卒)

 校友会は7月15日の総会で、2006年から3期6年に及ぶ任期を終えた林譽史朗会長(1971年薬学部卒)の後任に堀川浩良氏(1964年理工学部卒)の会長就任を承認しました。校友会の会長交代は6年ぶり。第10代会長に就任した堀川氏に抱負を語ってもらいました。

――名城大学校友会長は卒業生17万4000人のまとめ役です。第10代会長に就任された抱負をお聞かせください。

「開学100周年を見据えた校友会活動に取り組みたい」と語る堀川会長

「開学100周年を見据えた校友会活動に取り組みたい」と語る堀川会長

 校友会はOB会員相互の親睦を通し、母校の発展に尽くすことが使命です。会員各位、大学関係者の皆様のご支援、ご指導をいただきながら、開学90周年、100周年を見据えた実行力ある校友会づくりを目指し、「我々がやらなくて誰がやる」の気概で頑張りたいと思います。名城大学の卒業生の中にはこの地区では他大学を圧倒する2600人余の卒業生が企業経営者として頑張っています。こうした方々にもご支援をお願いし、校友会のパワーアップを図りたいと思います。そして、卒業生たちが自分の子どもを誇りを持って母校に入れたいと思えるような、「我が家は3代続けて名城大学卒です」と胸を張って言える大学になるよう、できる限りのお手伝いをさせていただきたいと思っています。

――名城大学に限らず、規模の大きい大学であればあるほど若い世代を中心に校友会離れの傾向があるのでは。

 残念ながら、特に地方支部総会では、若い会員の皆さんになかなか参加してもらえず、支部会員の高齢化が進んでいます。社会に船出し、人生の荒波にどう立ち向かうかで精一杯の面もあると思います。学生の皆さんを含め、若い卒業生の皆さんとお話する機会には繰り返し3つのことをお願いをしようと思っています。①住所変更の連絡を忘れずにして行方不明にならないでください②校友会やOB会の活動に積極的に参加してください③学生時代に大学、校友会からいただいた支援への恩返しを忘れないでください――と。

――名城大学で学んだのは1960年から1964年。60年安保があり、高度経済成長が始まり、東京オリンピックが開かれた時代です。どんな学生時代でしたか。

 全国からバイタリティーあふれる学生が集まっていました。野武士集団のようでもあり、好きな分野ならとことんやるというタイプの学生が多かったような気がします。私は自動車部に入っていましたが、活動は学生生活でも大きな比重を占めました。全日本学生自動車連盟が主催する日本一周ラリーがあって、東京から青森、九州など日本全国を走りまわっていました。車がこれから大衆化しようという時代だったこともあり、そのエネルギーは大変なものでした。私は勉強したいことがあって、2009年から農学部の科目等履修生として、学生の皆さんと机を並べて勉強させていただきましたが、私たちの学生時代に比べ、今の学生たちは大人しく、やさしくなったなという感じがしました。

――どうして科目等履修生として学ぼうと思ったのですか。

 学生時代は機械工学科でしたが、卒業後、自分が経営する塗装会社の仕事では、様々な専門知識や技術が必要でした。必要に迫られて取得した資格だけでも、作業環境測定士、1級土木施行管理技士、1級ボイラ技師、ダイオキシン作業指揮者、環境社会(エコ)検定試験取得者などたくさんあります。資格取得だけでなく、環境学や化学についても腰をすえて学びたいと思いました。商売のためとはいえ、まさに人生は一生が勉強だと思いました。一方で、2年間で計6科目を履修しましたが、1科目15回で授業料は7万5000円。母校で学び直すにも1コマ5000円もかかるのかと、やや複雑な思いでした。

――東日本大震災の発生から1年半が過ぎました。名城大学から発刊された「東日本大震災、私たちは忘れない―名城大学きずな物語―」にも、東北支部が中心となり、校友会が積極的な支援活動を展開したことが紹介されています。

 東日本大震災では、名城大学の学生、教職員、卒業生たちが一丸となって支援に立ち上がりました。忘れかけていた母校との絆を痛感した人たちがたくさんいたと思います。校友会活動の面でも、教訓にすべきことがたくさんありました。私たち自動車部OBも、宮城県石巻市で被災した先輩の安否確認や、義援金集めに奔走しました。さらに仕事上で私の弟子にあたる男性がその先輩が園長の幼稚園にボランティアに出向くなど、個人的にも予想外のドラマがありました。

――先輩として学生たちへのエールをお願いします。

 学生時代は社会に飛び出すための、ある意味ではトンネルのような4年間です。トンネルの先にある将来の自分の姿を見据えて、目標や希望に向かいできるだけ早く走り出すべきだと思います。就職状況も大変厳しく、不本意ながらフリーターの道を選ばざるを得ないケースもあるとは思いますが、トンネルの先にある夢を実現させるため、先輩たちも積極的に活用してください。相談すれば必ず力になってくれると思います。もちろん、母校出身の教員がどんどん誕生してくることも期待しています。

堀川 浩良(ほりかわ?ひろよし)

愛知県豊田市出身。名城大学理工部機械工学科卒。父親が豊田市で創業した「東亜塗装」を継ぎ社長に。機械工学科の同窓組織である機械会会長、校友会副会長、理工学部同窓会長、学校法人名城大学評議員、豊田西ロータリークラブ会長などを歴任。趣味は読書で、経済関係の本はよく読む。71歳。

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